エッセイ
Vol.42 理事長を交代した
48歳だったな。県立那覇病院で外科をしていたが、公務員の限界を感じてしまった。開業医のエコーで診断された乳がんが県立病院のエコーでは見えないのだ。新しいエコーを購入するのには、また数年かかるのである。私の指先のセンサーを頼りに腫瘍の細胞を取るという技を駆使して年間50例ほどの乳がんを治療した。開業しようと思い立って2−3年が経過した。乳がんの手術はしたい。どうするか。できれば自分の病院でしたいものだ。手術のできる病院を作りたいものだ。私の同級生Tの好意で現在の那覇西クリニックを平成8年(1996)5月に開業した。建設中の那覇西クリニックの中で長男:研太朗の信州大学医学部合格の連絡をもらった。嬉しかったなー。
あれから26年。たくさんの乳がん治療をさせてもらった。最初に手術を受けてもらった患者さんには大変感謝している。頭の中で手術のシミュレーションをする。麻酔の薬は大丈夫か。手術の器具で足りないものはないか。術後の体制は大丈夫か。全て完璧であることを確認し、始めたのである。麻酔は那覇病院時代からお世話になっているN先生。現在でもお世話になっている。最初の患者さんは無再発生存26年余である。大成功であった。
23名の職員からスタートしたクリニックも70名の職員になった。開院9年目に那覇西クリニックまかびを設立した。17年目になるのである。毎年300例余りの手術をさせていただいている。合計6000例余りになった。毎年、治療成績をホームページで公表して皆様のご批評を仰いでいる。
長い間理事長をしてクリニックの運営にあたってきた。全国的にも知られる「那覇西クリニック」にするために努力してきた。少しは実績が上がったと思う。当時は本土から沖縄に講演に来ていただくことが多かった。沖縄から本土で講演できる人材を育成したいと考えていた。また那覇西クリニックで仕事をし、データーを利用しながら「博士号」が取れる人材が育ってほしいと考えていた。この二つとも願いがかなった。
そろそろ交代か?令和4年10月1日理事長を交代した。新しい理事長に玉城 研太朗が就任した。いろいろ新しい企画を考え中のようである。しばらく様子を見ることにした。勝手に自分の役職を「会長」にして仕事を続け中である。
那覇西クリニック 会長
玉城 信光
最終更新日:2022.10.28