エッセイ
Vol.22 親と子
久しぶりに子供たちが我が家に戻る。二人暮しになれた我が家の女性は嬉々としてたくさんの食事を作っている。洗濯の回数も増えた。子供といってもすべて20歳をこえた。
私のインターネットの回線をはずして、ネットで仕事をしている者がいたり、仕事を離れてゴロゴロしている者もいる。友達と夜遅く?朝早くまで遊び歩いて帰ってくる者もいる。妻が言う「あなたに似ているのね」「いや、私は3時までには帰った」
北京オリンピックが近い。前のオリンピックで日本の若者たちが良い成績をあげ、日本国中沸き返った。室伏も親父の姿を見てハンマー投げに進んでいる。テニスの杉山が落ち込んだとき、母がコーチになったという。娘のグリップの1cmのずれを母なら分かるという。なぜなら、いつも見ているから。
そういえば、我が家の主も運動会の数百名の写真の中から自分の子供を当てることができるし、近眼の目で遠くの息子の存在を見つけることができた。
同じ日にテレビで今の子供たちはどうしたのだろうか。悪口をいわれて簡単に人を殺してしまう。子供からすれば親は自分のことをわかってくれない。少年よ大志を抱けではなく、大人よ大志を抱け。など多くの意見が発せられていた。
「私たちの親はこんなこと考えないでも、私たちは育ったよね」「どうしたんでしょうね」と妻はいう。私たちの子育てはどうだろうか。難しい。子供たちも結婚し新しい生活をはじめた。自分たちの家族をつくっていく時代になった。しかしおやじからすると、嫁さんもいるが、時には一緒に酒を飲んでほしいものである。
おじいちゃん、おばあちゃんが大好きで、かわいがってもらった子供たちである。受験の前におじいちゃんの家に行き、写真の前で勉強した子供もいる。大学に合格したときに、おじいちゃんは学問の神様だね。といってあげた。
沖縄の次の世代にバトンタッチが上手にできるだろうか。
(2008年4月24日 掲載)
那覇西クリニック理事長
玉城 信光
最終更新日:2008.04.24