エッセイ
Vol.18 地震だ!
あなたはどうする?
新潟で地震がおきた。ショックで亡くなった方々も多く、地震は大変なものだと、あらためて肝に銘じたところである。
阪神大震災のときには県立那覇病院で勤務をしていた。テレビに映る映像を見ながら、いらだちをおぼえた。「どうして火が消せないのか。助ける人はいないのか」
その後、アメリカ、サンフランシスコであったか?地震があったときのアメリカの対応の速さに関心したものである。
地震がおきたらあなたはどうする?
私はどうするのか。東京にいた頃、関東大震災がくると思っていた。女房にはいつもいっていた。「地震がきたら、僕は家には帰れない。君は子供を守っていてくれ。1週間ほどしたら、必ず会いにいくから」
医者は災害の時に自分の身内のことを考えることはきっと出来ないであろう。職業的な本能が被災者の為に働くことを優先するのであろう。医療人の家族はかわいそうである。一番たよりになる??お父さんがいないのである。
医師会は那覇空港で飛行機事故が起こった場合には小禄地区の医師が真っ先に駆けつけるとの想定で毎年訓練をしている。災害にそなえて、毎年訓練しているのである。
日本は近代的な国家である。1週間ではかなりの程度に災害から復旧できると思う。最初の1週間を自分たちの力で、周りのみんなと一緒に過ごすことが出来ると大丈夫である。
災害準備の第1は食料を確保しておけばよい。2~3日分あればよい。その後は大丈夫である。那覇の新都心、おもろまちの地下には那覇市民の為の非常用の食料が確保されているのだ。期限が切れそうになったら皆で試食させてもらおう。非常食試食会である。
沖縄人は大変パニックに強いはずだ。台風でいつも練習をしているから。各家庭には”非常用の”水タンクが備え付けられている。地震のゆれがおさまったら真っ先に屋上にあがり、水タンクの栓を閉めよう。1週間は充分暮らせる水がある。栓を閉めなければ、水漏れがおこり、せっかくの屋上の大切な水が無くなってしまうのである。
「大地震のゆれがおさまったら、屋上へ上がろう」
(2004年12月27日 掲載)
那覇西クリニック理事長
玉城 信光
最終更新日:2004.12.27