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Vol.16 最後の嘘

 医学部を卒業して30年になる。先日同期会があった。教授になっている人もいるし私の様に開業している者もいる。みんな医者として仕事のピークの時期にきているようである。物故者も数名いて30年の長さを感じさせるものがある。

 外科医という職業は職人と同じで自分の作品がある。ただ表から見えるものは少ない。先日、乳房にしこりがあると20代の女性がお母さんに付き添われて診察に来た。診察の結果はそれ程の異常はなかった。最後にお母さんがいった。

 「この子は小さい頃先生に盲腸を切ってもらいました」
 『エ!』
 「ちょっとお腹のキズを見せてね」
 『よかった』

 外科の仕事、医者の仕事、一生懸命やっているつもりでも全てがうまく行くとは限らない。そのような時にはつぶやくのである。『私は“あかひげ”ではない。普通の人間なのだ。疲れることもあるんだよ』

 20年ほど前になる。まだガンの告知がなされない頃である。再発をした方がわたしのもとを訪ねて来た。当時、抗ガン剤は大変こわいもので、すぐに血液の変化がきたりして副作用に難渋する薬であった。その方に新しい抗ガン剤を使用したが治らなかった。

 高校生の息子さんと二人暮しである。ご本人はまだ頑張るつもりであるが『もう・・・・』と思っていた。わたしには気に掛かることが1つあった。『Aさんはひとり息子に何もいわずに行ってしまうのだろうか。高校生の子供にお母さんの気持ちをすべて伝えて行くことはできないのか』

 思いきってAさんの妹さんにいった。「Aさんを助けることはもうできません。最後に息子さんや皆さんに言いたいことを伝えて行かせてあげたい」・・・・・・・・ながい時間が過ぎた。

 「よろしいでしょう」

 Aさんのベッドサイドへいき「Aさん、残念だけど私にはもうあなたを救うことはできません。すべての治療を終了させてください」止まらない涙がわたしの頬をつたって流れ落ちていく。

 いろいろな話の最後にAさんがいった。

 「先生、わたしはあとどのくらい生きられるの」
 「あと1週間ぐらいです」とうそをいってしまった。
 「先生!もうこれ以上苦しみたくない!」
 数時間後のクリスマスイヴの夜であった。

 それから10年ほどのち乳房にしこりがあると検査に来た方がいる。「先生、わたしを覚えていますか。Aの・・・」すかさず「あの高校生はどうしていますか」「先日結婚しました」

 たいへんうれいしい日であった。もちろん女房と祝杯をあげた。

(2004年5月25日 掲載)

那覇西クリニック理事長
玉城 信光

最終更新日:2004.05.25