エッセイ
Vol.13 名手
紀州の殿様に会いに行った。 朝早くお城の中を散策したが、セミ時雨が激しく、沖縄と同じ暑さであった。
和歌山で全国的な会合があった。 そのついでにお参りしたいところがあったのである。目的地は「名手」。(なて)とよぶらしい。和歌山からJR和歌山線に乗るのである。
お城から急いでタクシーに乗り、切符を買って入場し7番ホームで時刻表をみると、なんとあと50分待ちである。1時間に1本しか「名手」行きはないのである。 久しぶりにのんびりと駅で次の電車の来るのを待つことにした。
電車は2両編成、和歌山駅を出発すると、次の駅で運転士がアナウンス。「後ろの車両は扉が開きません。お降りの方は前の車両の一番前のドアから降りてください」運転室のドアが開き、運転士が皆の切符を受け取りだした。ワンマン電車であった。日本にはいろいろなところがあると思ったものだ。
「名手」には花岡青州という江戸時代の医者の診療所がある。青州は乳がんの治療をする者の神様なのだ。海外で全身麻酔がおこなわれる40年前に朝鮮あさがおなどを利用して全身麻酔を開発し、日本で最初に乳がんの手術をした医者なのである。(花岡青州より100年前に沖縄で高嶺徳明という医者が全身麻酔をしたといわれてもいる)
青州は手術道具を開発したり、乳がんの手術法を書き記したり、弟子を2000名も育てたらしい。まさに名手である。実際に診療していた部屋には人形が置かれ、手術の情景が忍ばれた。
『名手を貸りたいものだ』
手というものは不思議なものである。病に苦しんでいる人をやさしくさすってあげると痛みが和らぐのである。やさしい目と笑顔をそえてあげるともっとよい。 手術の上手な手だけが「名手」ではないのである。子供達の柔らかな手を握るとおのずとこちらの心も柔らかくなるのである。
子供達の手が離れ、わが妻と出かける時があった。ふたりで歩く時はどのように歩くのであったか。歩き方が何か変である。 いつもは子供が間にはさまり、子供の手がそこにあったのである。子供の手が離れるとはこのことであったか。子供の手が離れると、妻の手が近くなるのである。夜陰にまぎれて握ってしまおうか?
やさしく肩に触れて、大丈夫よというとき、やさしく手をそえて階段を降りるとき、先生のパワーを下さいと握手する時、皆「名手」なのだ。
(2004年2月13日 掲載)
那覇西クリニック理事長
玉城 信光
最終更新日:2004.02.14