エッセイ
Vol.12 試験
昭和41年4月留学試験に合格して東京の大学に行かせてもらった。 東京の第1印象は大変臭い街であった。排気ガスのにおいの充満したところであった。現在は都庁のある新宿新都心の場所も浄水場あとの瓦礫の原であった。
私の出席番号の前には台湾の国籍を持つ“王”という男がいた。わたし琉球人はその後であった。教師に「おう君」「おうじょう君」と呼ばれたときには誰のことかと思ったものである。先生目がわるく「玉城」の点を見落としたのであった。
沖縄の“りきらんぬー”が東京の“りきやー”と机を並べてみると、とてもとても大変なものであるのがわかった。『大学というところには天才がいるものだ!』と感心したものである。試験に落ちて 追試を何度受けたことか。生涯試験の夢にうなされない日はないと思われた。追試を受ける内に、常連がいることが分かってきた。あいつも天才ではないのかと変 な安心をしたものである。
50才を過ぎる頃からやっと試験の夢を見なくなった?それまでは国家試験に落ちる夢をよく見たものである。夢の中で自問自答をくり返しているのである。『おれは医者をしていたはずだ。これは夢に違いない』と思ったときに悪夢が去るのである。
それにしても世の人たちは大変えらいと思う。琉舞の新人賞、最高賞をとるために一 生懸命頑張っている。算盤の10段をとる小学生がいるし、いろいろな資格試験を受けている人がいる。いくつになっても試験から逃れられないのだなと感心もする。試験 に挑戦するための努力が日々をいきいきと作っていくのかもしれない。
医療の世界も毎日テストのようなものである。患者さんを前にしていろいろな検査法や治療法が次々と開発されてくる。それが本当に正しいものなのかを確認したり、この様にしたらもっとよくなりましたと学会というところで発表し他人の批判を頂戴する必要がある。
先日は本当にテストをされた。暗闇の中で200枚のおっぱいの写真を見るのである。時間は100分。85点以上が優秀だといわれている。30代40代の若手に混じり、50代な かばの男が老眼鏡をはずし、近眼の目で1ミリより小さなゴミを見落とさないように見入っているのである。
150名が2班にわかれ80名程の人が同時に試験を受けるので、あのフィルムを見たり、あいている場所を先に見るようにしなければいけないし、答えの欄を間違えないようにしないといけない。よくこのような問題をつくってくれるものだな』と感心しながら解いていくのである。
試験終了後150名の皆で答えの検討に入った。この150名の集団は以前の試験で85点以上とったA判定の人々の集団である。全国から集まって来たのである。
このA判定グループでも実際のレントゲンを前にしたら意見が分かれるものである。このような試験を何度も何度も繰り返しながら、乳がん検診の精度を向上させているのである。
結果は?「うふふ・・ふふ・・よかったのである」最後のアンケート「次にこのような講習があったらもう一度うけますか」もちろん 「うけます」と答えたが、実はうけないのである。
『これ以上の成績はとれないので、これまでにした方がいいのじゃない』とわが家の女性がささやくのである。
(2003年10月21日 掲載)
那覇西クリニック理事長
玉城 信光
最終更新日:2003.10.21