エッセイ
Vol.01 おっぱいの先生
ひさしぶりに“独り言”が言える。
おっぱいを触りはじめて50数年になる。今はなき母のおっぱいに始まり、赤ちゃんのおっぱい、若き張りのあるおっぱい、おばあさんたちの大きなおっぱい、更には男性のおっぱい、おじいちゃんのおっぱい、ミスターレディーのおっぱいまで・・・・・
何万人のおっぱいに触れたであろうか。しかもそのほとんどがお金をはらって診せにきてくれるのである。私の仕事は、世の男性のうらやむ素敵な商売なのである。
すてきな商売だが、きれいなおっぱいの値踏みをしているのではない。世の中には小さなおっぱいを恥ずかしがりながら診せに来るお客もいるが、私には自分のおっぱいであれば何も卑下をすることはないと思っている。逆に大きなおっぱいがゆえに肩こりがとれず、小さなおっぱいにしてくれと頼まれることもある。
おっぱいを評価するときには、まず見るのである。それからおもむろに触りだす。人さし指から薬指まで指の腹に圧力を感じるセンサーを満載して、どこかの潜水艦のような誤りをしないように気をつけながら、ゆっくりと乳房の表面をなぞっていくのである。
指の動きが止まる。少しづついったり、きたりしながら奥にある硬い物体の全容を明らかにしようとする。「ふむ、ふむ、これはあれだな!」指先から神経を通じて、頭脳に情報が伝えられる。頭脳がいう。「少しひふを寄せてごらん」「はい、わかりました」ついに親指の出番が来た。先程ふれた硬いものの上にのっかっているひふを少し寄せてみる。ひふがにこっと笑い“えくぼ”ができた。「やはり“ガン”か」「ここに硬いものがありますね。もう少し精密検査をして確認しましょう」お客さんにただならぬ気配を感じられぬように、さらっと言わなければならない。
わたしの指先は大切なセンサーなのである。日々の手入れをかかすことはできない。ゴルフだこができてガサガサしてはいけない。いつもやさしく妻の手を握って感度の確認をしなければならない。
(2002年7月24日 掲載)
那覇西クリニック理事長
玉城 信光
最終更新日:2002.07.24